|公開日 2017.6.7|最終更新日 2018.5.17

1 すべては出生から

1 はじめに権利能力ありき

民法を勉強するときに、最初にであう専門用語が「権利能力」です。
権利能力というのは、「権利者となれる資格」という意味で、権利を取得したり義務を負ったりすることができる法律上の資格をいいます。

権利と義務は表裏一体の関係にありますが、民法は「権利」を中心に構成されているために(近代市民革命の名残です)、「義務者となれる資格」とはいわないのです。


さて、土地・建物の売買契約をすれば、その所有権者となり、また売買代金を支払わなくてはならない義務を負うことになります。
交通事故に遭えば、不法行為に基づく損害賠償請求権を取得し、親が死亡すれば、親の財産の相続人となります。

このように売買や不法行為・相続などによって、物の所有権を取得することができ、また代金支払義務を負うこととなり、あるいは相続権を取得することとなるのは、そもそも権利能力(=法的資格)」が認められているからなのです。

権利能力がない場合には、はじめから権利・義務の主体となる資格がありませんから、そもそも所有者となったり支払義務者となることはできないのです。

2 人はいつ権利能力者になるの?

約1000条という膨大な条文から構成されている民法は、まずその冒頭で、権利能力の取得について次のように定めています。
「私権の享有は、出生に始まる」(3条1項)

私権というのは権利能力のことで、すべての人は生まれると同時に当然に権利能力を取得すると宣言しているのです。
「当然に」というのは、特別な意思表示や通知をするなどのアクションを起こす必要はないということです。

すべての人は一切の例外なく、オギャーと生まれると同時に当然に権利能力を取得し、また男も女も、老人も子供も、何ら区別されることなく、死亡するまで等しく「財産を所有し、身分関係に立つ」ことができる権利能力を有します。
これを「権利能力平等の原則」といいますが、これは憲法14条の「法の下の平等」の精神を民法で確認したものなのです。

出生していれば、出生届が出されていなくても権利能力を有していますし、死亡届が出されていても現実に生きていれば、権利能力者であることに変わりはありません。

権利能力を有するのは、人間(自然人)に限らず、法律により権利能力を認められた法人があります。

2 胎児はどうなの?

1 胎児の権利能力

人の権利能力は出生によって取得されるので、「出生以前」の、母親の胎内にある胎児には、権利能力はありません。
胎児は母体の一部であって独立の存在ではないため、胎児に権利能力を認めることはできないのですね。

母体の一部である手足に権利能力が認められないのと同じ状況なのです。もちろん、胎児は人間として存在することが予定されているという根本的な相異があるわけですが。

胎児の権利能力

ただこの原則を貫いて、胎児はまだ人ではないから一切権利能力がないとすると、たとえば、父が死亡した場合には、翌日に生まれても相続権はありませんし、また父が他人の交通事故によって死亡しても、加害者に対して損害賠償を請求することはできません。
相続権の取得も損害賠償請求権の取得も、父死亡時に人として存在していなければならないからです。

2 胎児に望みあり

人として出生する可能性が高いにもかかわらず、出生の時期がわずかに遅かったという単なる偶然によって権利能力を否定するのは、胎児にとってあまり不利益で気の毒でもあります。

そこで民法は、胎児の利益をとくに保護するために次の3つの「例外」を認め、これらの場合には、胎児はすでに生まれた者、つまり権利能力者として扱います。

・不法行為に基づく損害賠償請求権(721条)
・相続(886条)
・遺贈(965条)

遺贈というのは、遺言によって遺産の全部または一部をただで与えることをいいますが、胎児に対しても遺贈することができるのです。

なお、886条1項では「胎児の権利能力」についてこのように定めています。
「胎児は、相続については、既に生まれたものとみなす。」

3 権利能力だけでは生きていけない

権利能力はすべての人(自然人・法人)に認められますが、これは単に人が「権利義務の主体になることができる地位をもっている」という、いわば「抽象的」な権利・地位にすぎません。

私たちが日々生きていくためには、会社と雇用契約を結んだり、あくせく働いて食料品を買ったり、土地や建物を購入したり借りたりと、いわば衣食住の必要から「具体的」に権利を取得し、義務を負っていかなければなりませんが、そのためにはさまざまな契約(=法律行為)をしていく必要があります。

1 契約をするには相応の判断力が必要だ

さて、契約をするにはそれを理解できるだけの能力が必要です。

契約をすればどういう権利を取得して義務を負担するのか、どのような利益・不利益があるのか、損をするのか得をするのかなど、物事をよく考えて適切に判断する能力が必要となります。
このような判断能力のことを「意思能力」といいます。

生まれたばかりの赤ん坊や重度の認知症にかかっている人たちは、権利能力を有していても、物事を十分に考えて正しく判断する能力、つまり意思能力はありません(意思無能能力者)。
民法は、この意思能力のことを「事理を弁識する能力(7条、11条、15条)といっています。

わたしたちが、いろんな契約をして具体的に権利を取得したり義務を負担するためには、その契約が正常な判断能力に基づいて行われることが必要です。

しかし、たとえば幼児とか重度の認知症の人などは、この判断能力が日常的に皆無の状態、つまり意思無能力の状態にあるため、その意思表示は正常な判断能力に基づくものとはいえず、したがってその意思表示に法律上の効果を与えて有効とすることはできません。
一時的につい飲み過ぎて泥酔状態にあった場合も同様です。

2 意思能力があるかどうかは1つ1つの契約ごとに判断される

意思能力制度は、売買契約などの「具体的な個々の契約」ごとに判断能力があったかどうかを問題にして、もし契約の時に意思能力がなかった意思無能力の場合には、その契約を無効とするものです。

無効というのは、契約が成立しているようにみえても法律上は何の効果も生じないということです。

たとえば、売買契約が無効であるというときは、契約の効果である売買代金請求権も目的物の引渡請求権も一切発生せず、相手方にこれらを請求する法的な強制力はまったくありません。これらの権利を行使するには、契約が有効であることが大前提なのです。

意思無能力者は、物事をしっかり考えて判断することができませんから、法律上の効果を与えて有効とすることはできないのです。もちろん、無効を主張するためには、契約時に意思能力がなかったことを証明しなければなりません。

みなさんが酔っぱらって酩酊状態(意思無能力状態)で別荘の売買契約をした場合、意思能力がなかったことを証明すれば、契約は無効となりますが、この証明は必ずしも容易ではありませんね。

4 制限行為能力制度の登場

出生して人となっても、人の意思能力・判断能力にはいろいろな発達レベルがあります。
意思能力が十分には発達していない幼少者や、事故や病気で意思能力が減退したり喪失した知的障害の人など、「もともと意思能力が不十分な人たち」がいるわけですね。

こうした人たちは意思能力・判断能力が不十分なことにつけ込まれて、不利な契約を結ばされてしまう危険があるため、そうした不利益を受けることがないように保護する必要がありますね。

100万円の価値のある物を1万円で売ったり、価値のないものを法外な値段で買わされたりします。取引社会の犠牲者となってしまいます。
いろんな詐欺が横行している今日の社会をみれば納得ですよね。

もちろん意思能力が不十分であることを証明して契約を無効にできます。しかし契約をするたびに、いちいちそれを証明しなければならないというのでは、あまりにもわずらわしく、これらの人たちが日常生活を営んでいくことは困難です。

そこで民法は、こうした「もともと意思能力が不十分な人たち」を、判断能力の発達レベルに応じて、

① 未成年者
 =意思能力の発達途上にある者
② 成年被後見人
 =意思能力を欠く常況にある者
③ 被保佐人
 =意思能力が著しく不十分である者
④ 被補助人
 =意思能力が不十分である者

の4タイプに分けて、これらの人にはそれぞれ保護者をつけてその能力不足を補うことにしたわけです。

そして、もし保護者を無視して単独で契約した場合には、契約時の意思能力の有無をいちいち証明しなくても、制限行為能力者であるというだけで、一方的に契約を「取り消すことができる」として、不利な契約から保護するようにしたのです。

このように自分1人で契約することが制限されている人たちを、契約能力・法律行為能力が制限されているという意味で「制限行為能力者」といいます。


次回では、それぞれの制限行為能力者の行為能力はどんなものか、みていくことにしましょう。


(この項終わり)